名古屋地方裁判所 昭和47年(行ウ)37号 判決 1976年4月30日
原告
武田善明
右訴訟代理人
伊神喜弘
外一名
被告
東海郵政局長
守住有信
右指定代理人
樋口哲夫
外一一名
主文
一 被告が原告に対し、昭和四七年四月八日に同月七日付でなした懲戒免職処分を取消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者双方の申立<省略>
第二 請求の原因
一、原告は後記本件懲戒免職処分に付された当時名古屋南郵便局集配課勤務の郵政事務官であつた。
二、被告は、原告に対し昭和四七年四月八日「国家公務員法第八二条により免職する」旨の同月七日付の懲戒処分書を交付した。(以下「本件懲戒免職処分」という。)<中略>
四、原告は、本件懲戒免職処分に対し、昭和四七年五月二五日人事院に国家公務員法九〇条一項所定の不服申立をしたが、現在までその裁決がなされていない。<中略>
第四 被告の主張
一、原告は昭和四七年二月五日、名古屋南局集配課事務室において、前記片山主事の所持する公用手帳を奪取し、また同局局舎階段において同主事の両腕をつかんで、同主事の肩をコンクリート壁に強く打ちあてたばかりでなく、同局職員通用口付近において同主事の右腕をつかんで同通用口窓枠に激しく打ちつけ、同主事に要加療約二週間の傷害を負わせ、さらに、同局郵便課事務室において、前記植手副課長の両腕をつかんで同副課長を振り回すという暴行に及んだほか、昭和四六年一〇月二九日頃から同四七年二月七日頃までの間において、同局管理者の就労命令もしくは解散命令を無視し、勤務を欠き、あるいは、同局管理者に対し集団で抗議したばかりでなく、同局管理者の身体を押し、突き、引つ張る等、数々の非違行為を繰り返して著しく職場の秩序をびん乱したものである。
以上の事実により、被告は、右原告の行為が国家公務員法第八二条各号の規定に該当し、その程度が免職処分を相当と判断し、原告を本件懲戒免職処分に付したものであるが、原告の右非違行為の具体的事実は、以下に述べるとおりである。
(一) 原告の昭和四七年二月五日における暴行傷害等
午前一一時五三分頃、片山主事が、名古屋南郵便局二階の集配課事務室において、同局集配課職員北垣戸久(全逓熱田支部青年部長)に対し、同月三日、同人が植手副課長席机上の副課長氏名表示札に、みだりに「不苦蚊腸」と落書したことに関し、局長室へ出頭するよう局長命令を伝達したところ、北垣戸が右命令を拒否した。そこで同一一時五五分頃、片山主事がこの状況を局長に報告すべく集配課事務室から退室しようとしたところ、北垣戸と同列の道順組立棚で作業をしていた原告は、同主事に対し「二度とくるなよ。」「わかつとるだろうなあ。帰れ。」と大声で威圧的に発言し、さらに「帰れ、帰れ。」と叫びながら、作業を中断して同主事の前面に立ち塞がり、同主事が右へ行こうとすれば右へ、左へ行こうとすれば左へ移動して、同主事の通行を妨害した。このため、片山主事は「退きなさい。」と制止を繰り返したが、原告はこれに応じないばかりか、「帰れ、帰れよ。」と叫んで、ことさら火のついたタバコを口にくわえたまま、同主事におおいかぶさるようにして、タバコの火を同主事の額に触れそうな至近距離まで近づけた。そこでタバコの火の熱さを感じたので同主事が「くわえタバコをやめなさい。」と注意したが、原告は、これに応じようとしないので同主事はやむなく原告がくわえていたタバコを右手第一、二指でつまんで取りあげた。すると原告は、「タバコを返せ。」と大声で叫ぶなり、やにわに右肩で片山主事の左肩付近に体当りした。このため同主事は身体がねじれ、後方へ二、三歩よろめいた。それから片山主事は、原告に対し「タバコを返すから、灰皿のところへ来なさい。」と言つて、集配課主事席へ同行し同所でタバコを返そうと点火部分を外向きにして、右主事席机上の灰皿の上に差し出すと、原告は、タバコは受け取らずに、いきなり同主事が右手第三、四、五指で持つていた公用手帳を奪取して、集配課休憩室へ逃げはじめた。
片山主事は、直ちに「武田君、手帳を返しなさい。」と大声で叫びながら原告を追いかけ、一階職員通用口で追いついたので「手帳を返しなさい。」と言つて背後から、原告の制服上衣をつかむと、原告は、振り向いて「タバコを返せ。」と大声で叫び、同主事を振り切つて階段を二階に向つてかけ上つた。
片山主事が、一階と二階の階段の踊り場で原告に追いつき原告の背後から、再度同人の制服上衣をつかむと、原告は振り向きざま、同主事の両腕上部を両手でつかみ踊り場東側コンクリート壁に同主事の右肩を二、三回強く打ちつけた。
右の状況をみてかけつけた植手副課長および同局集配課課長代理太田正信の両名が原告を背後から引き離すと、原告は、再度前記通用口の方へ逃げ出した。同主事は、これを追いかけ、追い越して、通用口から外へ出られないように通用口扉(内外に開閉できる)の取手を両手でつかみ、両腕を横にして、扉が開かないようにした。それと殆んど同時に原告が同所にきたが、その際右状況をみて、その場へかけつけた同局集配課職員荒川峯生(全逓熱田支部南総分会集配分会分会長)が、原告と片山主事の間に割つて入り、原告に対し「武田返したれ。」「やめよ。」と制止したが、原告は、同荒川に対し、「あんたらなんにもようやらんじやないか。」「どつちの味方しとる。」と抗弁してこれに応じなかつたので同荒川が「そんなら知らん。」と言つて原告から離れた。それと同時に原告は、両腕を横にして扉の取手をつかんでいる同主事の右腕前部を両手でつかみ、同部を三回程、固定された右側の金属製枠に強く打ちつけたのでその際右扉が外側へ約二〇糎開いた。同主事は激痛に耐えきれず取手から手を離した。
右暴行により同主事は、右腕前部に加療約二週間を要する傷害を負つたものである。原告は、同主事が右扉から手を離したにもかかわらず向きを変えて一階郵便課事務室の方へ逃げるように立ち去つたので、植手副課長が後を追い、郵便課事務室小包記簿席付近で同人に追いつき、「手帳を返しなさい。」と言つて原告の前面に両手を拡げて立ち塞がると、原告は、植手副課長の両腕上部をつかんで、左右に三、四回振り回し、さらに原告の右の革靴で、植手副課長の左足を強く踏みつけ、発着口から同局通用門を通つて局外へ走り出した。その直後の午前一一時五九分頃、原告の後を追つた同主事が通用口で通用門付近を通称銀座市場方面へ走り向う原告に対し「武田君勤務時間中だぞ。一二時三分まで仕事中だぞ。」と大声で注意し、谷庶会課長とともに後を追つたが、原告は局から約五〇米離れた同市場の中へ走りこみ、行方をくらませ、こうして同人は、午前一一時五五分から午後零時三分までの八分間勤務を欠いた。
(二) 原告の昭和四六年一〇月二九日から昭和四七年二月七日までの間における職務命令違反、欠務、暴言、暴力的行為、職務執行妨害、集団抗議、無許可集会開催指導等の言動、
(1) 一〇月二九日の職務執行妨害、暴力的行為、暴言
午後零時四八分頃、名古屋南郵便局局舎屋上の国旗掲揚ポールの日章旗の下に、無許可で全逓旗がともに掲揚されていたので、谷庶会課長が屋上へ赴き、約二〇名の同局職員を集めて、歌声集会を開催中の北垣戸に対し「北垣戸君、全逓旗を取りなさい。」と注意した。しかし同人が、これに応じようとしないので、同課長はさらに「取りなさい。取らなければこちらで撤去する。」といつてポールに近づこうとしたところ、原告が同課長の前面に立ち塞つて進路を妨害しながら「何か悪いことがあるのか。」「理由をいえ。」と抗弁し、さらに「バカヤロー、中庭はいかんから屋上で集会をやれといつといて何を言つとる。」と暴言を沿びせた。谷庶会課長が「退きなさい。」と言つたが、原告がなおも進路を妨害したので、原告を右側へ押し、両手で全逓旗をはずそうとしたところ、原告は谷庶会課長の背後から同課長の腹部を抱きかかえて、左斜め後方へ約一米ほど強く引つ張つたうえ、ついで同課長の前面に回り、その右胸部付近に原告の左肩を押しつけ同課長を三〜四米後方へ押し戻した。谷庶会課長が再度ポールに近づき全逓旗をはずそうとしたところ、原告は、同課長の前面にきて同課長に対し「南郵便局に全逓労組のあることを知らせるために、全逓旗を出しちやいかんのか。」「てめえら、勝手なことばかりやるな」「帰れよ、帰れ」と繰り返し罵言を浴びせながら、自己の身体を同課長に密着させて五〜六米後方へ押し戻し同課長の職務を妨害した。
(2) 一一月四日の暴力的行為、暴言
午後零時三三分頃、原告は、中庭における無許可歌声集会に参加し、右集会の解散命令を発出していた森本局長の前面に立ち塞がり、同局長の顔面にことさらに自己の顔面を接近させ、数回にわたつて唾を飛ばし、また同零時四八分頃、解散命令を発していた同局貯金課長磯部年雄及び片山主事に対し、「犬、犬、かえれ。」と暴言を浴びせ、さらに原告は、同零時五二分頃、解散命令発出のため赴いていた同局集配課長大矢繁男(以下「大矢集配課長」という。)の斜め後方から同課長の両肩を両手で激しく突いて、同課長を二、三歩よろけさせた。
(3) 一一月五日の抗議、欠務、暴言
1 午前七時三六分頃、原告から同日午後三時間の年次有給休暇(以下「年休」という。)の請求があつたので、大矢集配課長は原告に対し「業務に支障があるが、事由は何ですか。」と、念のため請求の理由を尋ねると、原告は「言う必要はない。」と言つて明らかにしなかつた。そこで同課長が業務支障を理由に他日振替を通告したところ、原告は年休の不承認に抗議して勤務に就かなかつたので同課長は、「午前七時四〇分、只今より就労しないと賃金カツトします。」と就労命令を発出したが、原告は右命令を無視して、同七時四六分まで就労せず、この間六分間勤務を欠いた。
2 午前七時五二分頃、原告は勤務時間中にもかかわらず再び集配課長席にきて、年休が承認されるまで動かないと言つて、大矢集配課長に執拗に抗議し、さらに同課長が年賀はがきの発売に伴う利用者の整理のため、局前に赴こうとしたところ、原告は、同課長の前面に立ち塞がつて、同課長の進行を妨害したので、同七時五五分同課長が、原告に対し就労命令を繰り返し発出したが、原告は右命令を無視して、同八時六分まで就労せず、この間一一分間勤務を欠いた。
3 午後一時一分頃、原告は、勤務時間中にもかかわらず、北垣戸(年休中)、落合恵三、中田譲二の三名とともに集配課長席へきて、大矢集配課長に対し、北垣戸を除く右三名(北垣戸については、午後一時から勤務終了まで年休承認)の同日午後の時間年休不承認について抗議を続け、同一時五分同課長らから再三の就労命令を受けたにもかかわらずこれを無視し、原告は「作業につかせたかつたら文書で出せ。」「てめえらこそ帰つて行け」等と暴言を浴びせ抗弁して、同一時一六分まで就労せず、この間一一分間勤務を欠いた。
(4) 一一月六日の集団抗議指導
午後零時三五分頃、集配課事務室出入口付近で大矢集配課長を北垣戸ら約二〇名の同課職員がスクラムを組んで取り囲み、同事務室内の北西隅の被服乾燥機付近まで押していき、同課長を軟禁状態にし、口々に「課長は年休の付与に誠意をみせない。」等と抗議したが、その際、原告は、右集団に近い郵便外務班五班の順立棚の上に左足をあげ、ハンドマイクで「このように誠意をみせない課長に対しては全休をもつて抗議しよう。」等とあおり、右集団抗議を指導し、さらに同零時三九分頃谷庶会課長が大矢集配課長を救出誘導して集配課長席へ赴こうとしたところ、原告は、人荷用エレベーター付近で落合恵三ほか六名とともに谷庶会課長を取り囲み同課長を集配課経理係西側まで押していき、口々に「年休を認めろ、庶務課長帰れ。」等と大声で同課長に抗議し、さらに原告は、集配課長席において大矢集配課長に対する集団抗議に参加し「責任をもつて返事しろ。」「庶務課長や局長は帰れ。」等と大声で叫んで同零時四八分頃集団が解散するまでの間、右集団抗議を指導した。
(5) 一一月九日の無許可集会指導、暴言
午後零時一八分頃、原告は北垣戸とともに無許可で中庭に同局職員約三〇名を集合させ、歌声集会をはじめたので、谷庶会課長、大矢集配課長らが、右集会の解散を命じたところ原告は、ハンマドイクを使用して谷庶会課長に対し「にやけた顔がひんまがる時のくることを覚えとけ。」と暴言を浴びせ、また「公務員という名で押えつけているが団結の力で勝ち取ろう。」等と叫び、同課長らの再三にわたる解散命令を無視して、同零時三〇分頃まで労働歌の合唱を指導した。
(6) 一一月一〇日の無許可集会指導等
午後零時三三分頃、北垣戸が中庭において同局職員約三〇名を集めて無許可の歌声集会をはじめたので、谷庶会課長らが右集会の解散を命じたところ、原告は、身体を同課長に押しつけ、たまたまその際、原告に北垣戸がハンドマイクを渡そうとして、これを落したのを同課長が落し故障させたと、いわれなき言いがかりをつけ同課長に「課長、マイクをどうする、弁償しろ。」等といわれなき抗議をし、さらに同課長が、解散命令を発するため進もうとする方向へ身体を移動させ、立ち塞がつて進路を妨害したりなどし、同零時五五分頃、ハンドマイクで「一一.一〇沖繩ゼネスト支援集会が白川公園で開かれるから六時には参加されたい」と右集会の参加者に要請し、同零時五七分頃解散するまで右集会を指導した。
(7) 一一月一八日の暴言
午前八時三分頃、大矢集配課長が集配課事務室において、勤務時間中の腕章(赤地に白く「全逓熱田支部青婦人部」等を染めぬいた赤腕章)着用者に対して腕章の取りはずしを命じたところ、原告は、同課長に対して「腕章をつけていてどのような仕事に支障があるか、ばかやろう、憲法で保障されているが知つているか、ばかやろう。」と暴言を浴びせた。
(8) 一一月二〇日の暴言
1 午前七時三四分頃、北垣戸が勤務時間中にもかかわらず、白地に赤文字で「団結全逓」と染めた鉢巻をしていたので、谷庶会課長が同人に対し、右鉢巻の取りはずしを命じたところ、同人は「何を言つとる、お前取れるなら取つてみよ。」「よう取らんだろう、あほう。」と同課長に暴言を浴びせたので、大矢集配課長が同人に対し、これをたしなめたところ、同人の近くで作業していた原告は大矢集配課長に対して「あほうだがや、ばかやろう、そんなこと分らんか。」と暴言を浴びせた。
2 午前七時五一分頃、集配課事務室で同課職員に作業指示をしていた大矢集配課長に対し、作業中の原告が、「おい、課長と呼んどるのに聞えんのか、ばかやろう。」と暴言を浴びせた。
(9) 一一月二五日の無許可集会指導
午後零時三一分頃、原告は、北垣戸とともに無許可で中庭においてハンドマイクを使用して「ただ今から青年部主催の歌声集会を開きますから集つて下さい。」と呼びかけ、同局職員三〇数名を集合させて、無許可集会を開催しはじめ、「当局は、業務に支障がある、近所から電話による苦情があつたと言つているが、何故に中庭を許可しないのかをもう一度たださねばならない。」等と演説し、谷庶会課長らが直ちに解散命令を発したにもかかわらず、これを無視して、同零時五一分頃まで無許可集会を続行した。
(10) 一一月二七日の欠務等
午前八時三三分頃、原告は、郵便外務班六班及び同七班の配達区域内に当日配達すべき小包郵便物の宛名を書き写したメモ用紙数枚を持つて集配課主事席へ来て、同席にいた大矢集配課長に対し「小包の指導はどうするのだ。」(配達先の所在等を誰に尋ねるのかとの意)と大声で尋ねた。これについては、従来から当該班の班長にたずねるよう指導してあつたので、同課長は「班長に聞きなさい。」と指示したところ、同人は右指示に従わず、同課長に「それは何だ。」と反問したので、同課長は「業務命令である。」と説明した。すると原告は「そんな業命があつてたまるか。書留受領で並んでいる人に聞けるか。」(原告のいう「並んでいる人」とは、七班班長鳥居弥次郎を指すが同人は、書留郵便物受領のため、特殊郵便係付近に並んで順番を待つていたものであり、原告が同班長から指導を受けるには何ら支障はなかつたものである。)と言つて応じないので、同八時三四分、大矢集配課長は、「就労しなさい。」と繰り返し命令したが、原告は同八時五〇分まで就労せず、この間一六分間勤務を欠いた。
(11) 一一月二九日の欠務、暴言、集団抗議
1 午前七時三二分頃、集配課長席で原告は、大矢集配課長に対し、翌一一月三〇日の年休請求書を提出したので、同課長は、「多数の郵便物が滞留しているので業務上支障がありますから他の時季に変更付与します。」と言つて、右年休請求を不承認としたところ、原告は、「てめえ年休を出すということを考えているか。」と暴言を浴びせ、同七時三三分、同課長から就労を命ぜられたが、原告は、「年休を出すまで動かないぞ。」と言つて右就労命令を無視して同七時三七分まで就労せず、この間四分間勤務を欠いた。
2 午後一時三四分頃、原告は勤務時間中にもかかわらず中田譲二、落合恵三ら数名とともに集配課長席付近にきて、大矢集配課長に対し、「朝の続きだ、俺の年休は考えたか。」等と言つて抗議をしてきたので同一時三五分、同課長は、原告らに対し、就労を命じたところ、原告及び前記中田を除く他の者は就労したが、原告は、「課長年休を出せ。」等と大声で抗議し、同一時四五分まで就労せず、この間一〇分間勤務を欠いた。
また、同一時四六分、原告は、再び集配課長席へ来て、大矢集配課長に対し、同人の年休が不承認となつたことに抗議し、同課長の就労命令に従わず同一時五一分、原告は、「同じことばかり言つている、阿呆か。」と暴言を浴びせ、自席に戻るまでの間、就労せず、この間五分間勤務を欠いた。
3 午後三時一五分、原告は、勤務時間中にもかかわらず集配課長席へ三たびやつて来て、大矢集配課長に対し、「明日の年休を考えたか。」と抗議したので、同課長が再度他の時季に与える旨通告したところ、原告は、同人の付近へ集つてきた同課職員一〇数人の先頭に立つて、「業務に支障があれば年休はいつでもよいと言うのか。」等と言つて抗議し、同課長及び谷庶会課長の就労命令を無視し、同三時一九分まで就労せず、この間、四分間勤務を欠いた。
4 午後三時三一分頃、原告は、集配課職員約二〇名とともに集配課長席に来て大矢集配課長に対し、同人の年休不承認に関して集団で抗議し、谷庶会課長および大矢集配課長らの解散命令を無視し、原告は、「業務上どんな支障があるんだ。」、「てめえら都合のいいことばかり言うな。」等と暴言を浴びせ、右集団の中心となつて抗議した。
(12) 一二月三日の暴言、暴力的行為、無許可集会指導
1 午前八時五二分頃、原告が、集配課事務室で口笛を吹きながら作業をしていたので、谷庶会課長が「武田君、口笛をやめて静かに仕事をしなさい。」と注意したところ、原告は、「何が悪いのだ。」「馬鹿野郎、帰れ。」と大声で暴言を浴びせた。
2 同日夕刻から約二〇〇名の組合員を動員して同局中庭の無許可の処分抗議集会が計画されていたことから、勤務時間外の同局職員及び他局職員等の入局を禁止していたところ、午後五時三四分頃、勤務時間外の原告が、郵便課事務室に入室してきたので、同局郵便課長長田喜八郎が同人に対し退去命令を発した。ところが同人は右命令に従わず、同課長の顔面に唾を数回吐きかけたうえ、右肩で同課長の右肩を強く押したので、同課長は、二、三歩後によろけて床へ左膝を強く打ちつけた。その後、同課長が原告の唾で顔面がバリバリになつてきたので同事務室内で洗顔をしていたところ、原告が、その場へきて「暴力じやないぞ。」と繰り返し発言して退室した。
3 午後五時四二分頃、同局中庭で他支部動員者を含む約一四〇名による前記無許可処分抗議集会が開催された際、原告は、全逓愛知地区本部宣伝カーのマイクで「皆さん、只今から地区常任委員長の指示に従つて行動して下さい。」と右集会を指導し、同局管理者らによる再三、再四の解散退去命令を無視し、さらに北垣戸、全逓愛知地区本部青年部長、伊神敏雄とともに同宣伝カーの屋上に乗り、同五時五〇分頃全逓歌唱和の音頭をとつた。その後、同六時二七分頃約一三〇名が二集団に分れ、スクラムを組んで三列縦隊あるいは四列縦隊になつて、同局構内、地下車両置場等をデモ行進した際、原告は隊列先頭部分横に位置し、ハンドマイクで「粉砕、粉砕。」と音頭をとり全員に唱和させ、同六時四〇分頃、再び前記参加者による集会が始まるや、シユプレヒコールの音頭をとり、さらにまた処分抗議について説明し、同七時九分頃「最後に団結ガンバローを三唱して解散したいと思います。」と挨拶し、無許可処分抗議集会及び無許可の構内デモを指導した。
(13) 一二月四日の欠務
午前八時一五分頃、原告は、勤務時間中にもかかわらず、作業を中断して集配課事務室で谷庶会課長に対し、管理者が作業を妨害していると称して抗議していたので、大矢集配課長が、原告に就労を命じたところ、同人は右命令を無視し「課長こそ仕事をやれ。」等と言つて北垣戸とともに大矢集配課長の後につきまとつて抗議を続け、同八時二〇分まで就労せず、この間五分間勤務を欠いた。
(14) 一二月六日の暴言
午後三時四三分頃、原告は、「青年部の皆さん中庭へ集つて下さい。」と大声で呼びかけ、中庭に同局職員約二〇名を集合させ無許可で歌声集会を開催したので、森本局長、大矢集配課長らが解散命令を発したところ、原告は、右集配課長に対し「馬鹿野郎、自分の仕事を一生懸命やれ。」と、また森本局長に対し「阿呆、気違い。」と暴言を浴びせた。
(15) 一二月九日の暴言、無許可集会指導
1 午前八時一〇分頃、集配課事務室において、原告が勤務時間中にもかかわらず前記(7)掲記と同様の赤腕章をつけて作業をしていたので、大矢集配課長が原告に対し、右腕章の取りはずしを命じたところ、原告は、同課長に対し、「毎朝毎朝同じことばかり言つてたわけの一つ覚えだ。」「たまには変つたことを言え。」「馬鹿野郎。」と暴言を浴びせた。
2 午後零時三三分頃、原告は、北垣戸らとともに同局職員約三五名を中庭に集めて無許可集会を開き、大矢集配課長、谷庶会課長らの解散命令に従わず、ハンドマイクでシユプレヒコールの音頭をとり、谷庶会課長に対し「うるさい、馬鹿野郎。」と暴言を浴びせ、同零時五四分頃解散するまで右集会を指導した。
(16) 一二月一三日の職務執行妨害、暴力的行為
大矢集配課長が自席で滞留郵便物数の集計をしていたところ、午後三時二七分頃原告は、北垣戸、同局集配課職員早川鈴男らとともに、同課長席に押しかけ、職務執行中の同課長を取り囲み、同課長が、同二時四五分頃、屋外配達作業から早く帰局した同課職員加藤利夫らに対して、勤務時間終了(午後三時四〇分)まで約一時間あつたので、持戻り郵便物を持つて屋外配達作業に再出発するように作業指示したことに関して抗議を行ない、原告らは、同課長の机上に身体を乗り出し、同課長らの再三の退去命令にもかかわらずこれを無視して、同課長の職務の執行を妨害し、また、同三時三七分頃、同課長が滞留郵便物の通数調査のため同課長席を離席しようとするや、原告は、同課長の背後から、その肩を両手で押えて立ち上がれないようにし、ついでその頃から同席に集まつてきた集配課職員約三〇名とともに同課長ら同局管理者の再三にわたる解散及び退去の命令を無視して同四時頃まで同課長に集団抗議を続け、同課長の職務の執行を妨害した。
(17) 昭和四七年二月七日の欠務
午後一時一六分頃、原告は、大矢集配課長に対し、当日二時間の年休を請求してきたが、同課長は右年休は業務上の支障により付与できないと判断し、原告に対し不承認の旨を通知したのにもかかわらず、原告は、勝手に退局し、同一時三〇分から同三時四〇分まで就労せず、この間二時間一〇分勤務を欠いた。
二、以上のとおり、原告は数々の非違行為を繰り返し、著しく職場の秩序をぴん乱したものであるが、右原告の各行為は国家公務員法九八条一項、九九条、一〇一条一項前段に違反し、同法八二条各号に該当するものである。
したがつて、本件懲戒免職処分は適法、かつ相当であり、何ら違法不当は存しないものである。<後略>
理由
一請求の原因一項・二項及び四項の事実は当事者間に争いがない。
二(原告の非違行為について)
(一) (昭和四七年二月五日の事件)
<証拠>を総合すれば次の事実が認められる。
昭和四七年二月三日名古屋南郵便局集配課職員北垣戸久(全逓熱田支部青年部長)は、同局集配課副課長植手久男の机の上の副課長氏名表示札に副課長をもじつて「不苦蚊腸」と落書きしたが、この件について翌四日午後、谷庶会課長らから追及された際、自己がいたずら書きをしたことについては認めたが、始末書を書くようにとの要求を拒絶した。そこで同月五日、庶務会計課主事片山宗円は、植手副課長を通じて道順組立棚で作業中の北垣戸に対し局長室へ来るよう局長命令を伝達したところ、北垣戸がこれを拒否したので同日午前一一時五三分頃自らが直接同局二階の集配課事務室に出向き右命令を伝えた。これに対し、北垣戸は「ばかやろう、用事があるなら局長がこちらへ来い。」と拒否し、片山主事も「どうして来れんのだ、怖いのか。」などと応酬したが、結局北垣戸を説得することを断念し、立会つていた植手副課長に北垣戸の右命令無視を現認したとの意味で(後に現認書を作成するため)「一一時五五分現認」と声に出して告げたうえその場を立ち去ろうとした。
右のやりとりを傍にいて気づいた原告が、片山主事に対し「二度と来るなよ。」と言つたところ、片山主事は「何を言つておる。用事があれば何度も来る。」旨答え、さらに原告から「判つとるだろうな。」と言われたのに対し「ざこは黙つておれ。」と言つた。そこで、原告は片山主事を追いかけ、火のついたタバコを口にくわえたまま両手を後に組んだ姿勢で同主事の前に立ち塞がり同主事に対し「帰れ、帰れ。」などと叫んだところ、同主事は右手で原告のタバコをその口から取りあげた。原告はタバコを返すよう同主事に要求したが、同主事はこれに応じずタバコの火を消すため主事席の灰皿の所へ行つたが、その際、原告は同主事が手に持つていた公用手帳を奪い、タバコと手帳を交換するよう要求したが、同主事はこれにも応じず、原告が一旦交換を断念して食事に行くため階下へ降りようとするとこれを追いかけ、階段の踊り場で原告に追いつき、そこで原告の両手を掴んで原告ともみ合いになり、なおも「タバコを返せ。」「手帳を返せ。」と応酬しあつたが、原告が同主事を振りほどいて階下に降りようとしたところ、同主事は原告を追い越し一階通用口へ先回りして右手でドアーの取つ手を持つて原告が局外へ出るのを阻止しようとした。ここで、原告と同主事が対峙したが、同局集配課職員荒川峯生(全逓熱田支部南総分会集配分会分会長)が割つて入り「武田君、やめとけ。」と原告を制止したが、原告は「お前ら責任を取つてくれるか。」と応じようとせず、荒川は「そんならいいわ。」と引揚げた。そこで、原告は通用口から外へ出ようとして片山主事が取つ手を持つて押えているドアーのガラスの部分を押したがドアーは開かず、さらに同主事が取つ手を掴んでいる指をはがそうとして同主事の右手を押したが、同主事は取つ手を離さなかつたので、通用口から外へ出るのを断念して、郵便課事務室の発着口から局外へ出ようとして同事務室に入つて行つたところ、植手副課長が前に立ちはだかつたので同人の両上腕部を掴んで振り回すようにし、更に同人の足を踏みつけ、同人がひるんだところを右発着口から局外へ出た。
同日午前一一時五九分頃、通用門付近を通称銀座市場のある北方向へ歩いていた原告を発見した片山主事は、原告に対し「時間中だぞ。」と声をかけたが、原告はそのまま銀座市場へ入つて行つた。そこで、同主事は谷庶会課長、植手副課長とともに原告を探索したが発見できず、同日午後零時三〇分頃笠寺病院へ赴き、右前腕にガラスのドアーがぶつかつたと述べて診察を受け、右前腕挫傷との傷病名で同月一九日まで湿布、投薬等の治療を受けた。一方、北垣戸は当局が原告を暴行、窃盗で告訴するとの噂を聞き原告を捜した結果、銀座市場の喫茶店で原告を発見し、そこに、同日一二時頃通用門付近で片山主事から「手帳を取り返してくれ、取り返してくれればこのことについては不問にしたい。」と告げられていた全逓熱田支部執行委員柴田暁男も、同支部石塚実支部長の指示を受けて、加わり、原告から事情について説明を受けた後、右柴田は片山主事が手帳を返せば問題にしないと言つているので手帳を支部に預けるよう原告を説得したが、原告は、片山主事にも非がある、手帳を返せば曖昧に処理されるなどの理由でこれを拒絶した。
片山主事は、本件直後原告を南警察署に告訴し、同月六日(日曜日)、七日、八日と欠勤し、同年三月一七日付で前記傷病につき公務災害と認定された。原告は、同署から事情聴取され、公用手帳は同署を介して片山主事に返還され、右告訴については本件懲戒免職処分直後不起訴となつた(不起訴の理由については不明)。また、本件発生後二、三日してから北垣戸は原告とともに笠寺病院へ赴き、片山主事のカルテを作成した同病院医師早川清から事情を聞いたところ、同医師は、片山主事には外部所見からは何ら異常はなかつたが、患者が痛いと訴えている以上医学的に否定できないものだから診断書を作成し治療を加えた指説明した。
なお、名古屋南郵便局集配課においては、当時の原告の勤務時間は午後零時三分までであつたが、多くの職員が正午直前くらいから食事に出かけるのが職場の実態であつた。また、原告らがいた道順組立棚付近には灰皿が数個置かれてあり、勤務中でもここで喫煙することは特に禁じられていなかつた。
<証拠判断省略>
(二) (全逓旗掲揚に関する事件)
昭和四六年一〇月二九日、屋上に無許可(許可申請なし)で全逓旗が掲揚されており、谷庶会課長がこれを撤去しようとし、これに対し原告ら組合員が抗議したことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
同日午後零時四八分頃、名古屋南郵便局舎屋上の国旗掲揚ポールの日章旗の下に無許可で全逓旗が掲揚されているのを、発見した神谷庶務会計課長代理は、谷庶会課長に連絡し、同庶会課長は森本局長の「直ちに撤去させなさい。」との命令を受け、片山主事とともに屋上へ赴いて、歌声集会(許可済み)中の約二〇名の同局職員の責任者である北垣戸に対し「北垣戸君、全逓旗を取りなさい。」と口頭で撤去命令を発した。しかし同人がこれに応じようとしないので、同課長はさらに「取りなさい。取らなければこちらで撤去する。」と言つてポールに近づこうとしたところ、原告が同課長の前に立ち塞つて進路を妨害しながら「何か悪いことがあるのか、理由を言え。」と抗議し、同課長が「官の施設に全逓旗を揚げてはいけない。」と説明すると、原告は「ばかやろう、中庭はいかんから屋上で集会をやれと言つといて何を言つとる。」と叫んだ。これに対し、同課長は「退きなさい。」と言つて原告を右側に押し、両手で全逓旗をはずそうとしてポールに手をかけたところ、原告は同課長の背後から同課長の腹部を抱きかかえて左後方に引つ張り、同課長を二、三歩後方へ引き寄せ、次いで、同課長の前面に回り、その右胸部付近に自巳の左肩を押しつけ同課長を三、四米後方へ追いやつた。この時、右集会参加者らが同課長と片山主事を取り囲み労働歌を歌いながら「帰れ、帰れ。」と叫んだが、同課長がさらにポールに近づき全逓旗をはずそうとしたのに対し、原告は、同課長の前面に来て同課長に対し「南郵便局に全逓労組のあることを知らせるために全逓旗を出しちやいかんのか。」「てめえら、勝手なことばかりやるな。」「帰れよ。帰れ。」と繰り返し叫びながら、自己の身体を同課長に密着させて五、六米後方へ押し返した。同日午後零時五四分頃、同課長は再び北垣戸に全逓旗の撤去を命じ、まもなく組合員の手により全逓旗は撤去された。
<証拠判断省略>
(三) (中庭における無許可集会に関する事件)
昭和四六年一一月四日以降の中庭における各歌声集会につき許可がなされていなかつたことは当事者間に争いがない。
(1) 昭和四六年一一月四日関係
右同日の無許可集会に際し、森本局長、磯部貯金課長、片山主事が解散命令を発していたこと、原告も右集会に参加し他の組合員とともに右解散命令に抗議したことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
右同日午後零時三三分頃、原告は中庭における歌声集会に参加した。これに対し、谷庶会課長が北垣戸に解散命令書を交付するなどして解散を命じたが、参加者らはこれに従わず、解散命令を発出していた森本局長自身も参加者らがスクラムを組んでいる周りを廻りながら参加者の一人一人に解散するよう命じていた。その際、原告と対面した森本局長の顔面に唾を飛び、同局長は顔を拭いながら「唾を飛ばすな。」と原告に大声で注意したが、原告は「わざとやつたのではない、中庭はなぜ貸せんのだ。」と答えた。その後も管理者らが再三解散するよう参加者らに命じたが集会は継続され、原告は解散命令を繰り返していた郵便課長磯部年男及び片山主事に対し「犬、犬、帰れ。」と叫んだり、集配課長大矢繁男の背後から肩を押したりなどしたが、右集会は結局零時五二分頃解散された。
<証拠判断省略>
(2) 同年一一月九日関係
右同日午後零時一八分頃、原告が北垣戸とともに中庭に同局職員約三〇名を集合させ、歌声集会を始めたので、谷庶会課長、大矢集配課長らが右集会の解散を命じたこと、その際原告が「公務員という名で押えつけているが団結の力で勝ち取ろう。」と叫び、同課長らの再三にわたる解散命令に従わず零時三〇分まで参加者らとともに労働歌を合唱したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告は谷庶会課長らの解散命令に対し、同課長にハンドマイクを使用して「にやけた顔がひんまがる時のくることを覚えておけ。」と叫んだことが認められ、<証拠判断省略>
(3) 同年一一月一〇日関係
右同日の歌声集会に対し谷庶会課長らが解散を命じたこと、原告がハンドマイクを落としたこと、このことで同課長に抗議したこと、白川公園で開かれる集会への参加を集会の参加者に要請したことは当事者間に争いがない。
右争いのない事実と、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
右同日午後零時三〇分頃約三〇名の職員が中庭において歌声集会を始めたが、谷庶会課長及び大矢集配課長は北垣戸に解散命令書を交付するなどしてその解散を命じた。その直後、北垣戸は持つていたハンドマイクを原告に手渡そうとしたが、原告がこれを落とした。北垣戸はこれをとらえて「お前さんが触つたからマイクが故障してしまつた。どうしてくれるんだ。」と谷庶会課長に抗議し、原告も身体を同課長に押しつけ「課長、マイクをどうする。釈明しろ。弁償しろ。」などと抗議し、さらに同課長が進もうとする方向に移動してその進路を妨害した。その後も谷庶会課長、大矢集配課長は繰り返し解散命令を発出していたが、零時五五分頃、原告がハンドマイクで「一一・一〇沖繩ゼネスト支援集会が白川公園で開かれるから六時には参加されたい。」と集会参加者に要請して、その後まもなく集会は解散された。
右認定に反する証人北垣戸久及び原告本人の各供述部分は措信できず、他に右認定に反する証拠はない。
(4) 同年一一月二五日、一二月六日、一二月九日関係
被告の主張一項(二)の(9)、(14)、(15)、の2については、原告や北垣戸が各歌声集会を開催、主催したか否か、原告が集会の指導をしたか否かの点を除き当事者間に争いがない。
(四) (腕章、鉢巻に関する事件)
被告の主張一項(二)の(7)、(8)の1、(15)の1の事実については当事者間に争いがない。
(五) (年休請求に関する事件)
(1) (昭和四六年一一月五日関係)
被告の主張一項(二)の(3)の事実については、午前中の抗議の際原告が大矢集配課長の進行を妨害したこと、午後の原告の抗議は原告自身の年休不承認に関するものであるか否か及び原告の欠務の点を除き当事者間に争いがなく、右争いのない事実と、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
1 右同日午前七時三六分頃、原告から同日午後三時間の年休請求があつたので、大矢集配課長は原告に対し「業務に支障があるが事由は何ですか。」と、念のため請求の理由を尋ねると、原告は「言う必要はない。」と言つて明らかにしなかつた。そこで、同課長が業務支障を理由に他日振替を通告したところ、原告は年休の不承認に抗議して勤務に就かなかつたので、同課長は「午前七時四〇分、只今より就労しないと賃金カツトします。」と就労命令を発出したが、原告は七時四六分まで就労しなかつた。
2 大矢集配課長は原告の請求どおりに年休を付与できないことにつき具体的な理由を説明しなかつたため、原告は同日午前七時五二分頃、再び同課長の席にきて「俺の時間体を出さなければ動かない。年休は俺たちの権利だ。」と抗議した。同課長は、当日年賀はがき発売の第一日にあたつていたので午前八時より購入者の列の整理に赴くよう指示されていたところ、原告の抗議のため席を離れられないのでその旨原告に説明したが、原告は年休を付与できない理由の明確な説明を得るため同課長の前に立ち塞がつて抗議を続けた。七時五五分頃、同課長は原告に対し繰り返し就労命令を発出したが、原告は八時六分まで就労せず、同課長は八時七分頃ようやく右購入者の列の整理に赴いた。
3 午後一時一分頃、原告は北垣戸、落合恵三、中田譲二の三名とともに大矢集配課長の席へ来て、同課長に対し、北垣戸を除く右三名の時間休不承認について抗議し、これに他の集配課職員約二〇名も加わり抗議を続けたが、一時五分、同課長が「一時五分です。賃金カツトします。」と通告した結果、約一〇名の職員は引揚げて作業に就いた。しかし、原告らはなおも抗議を続け、原告は「作業に就かせたかつたら文書で出せ。」「てめえらこそ帰つて行け。」などと叫んだりし、一時一六分まで作業に就かなかつた。
4 北垣戸は前日の四日に口頭で年休を申入れ、大矢集配課長は五日の北垣戸の担務が小包であつたため北垣戸の「小包は午前中に完配するから昼から時間休をもらいたい。」との申出に応じ小包完配を条件に年休を付与することを約し、五日の午前中に同人が完配したのを見とどけて同日午後の年休を承認した。
5 五日当日は、原告の所属する二班で東海銀行から差出されたダイレクトメールが数千通あり、大矢集配課長はこれを当日朝より知悉しており、これを同日中に完配させる必要があると考え原告の年休を承認しなかつたが、右のような大口のダイレクトメールが差出されることはしばしばあり、普通の封書やはがきが多数あつてそれらを優先させる必要のあるときはダイレクトメールを何日かに分けて配達するいわゆる計画配送という方法をとることもあつたが、同課長は当日この方法をとることを考えていなかつた。
右認定を左右するに足る証拠はない。
(2) 同年一一月六日関係
右同日午後零時三五分頃、集配課事務室出入口付近で大矢集配課長を北垣戸ら約二〇名の職員がスクラムを組んで取り囲み、同事務室内の北西隅の被服乾燥機付近まで押して行き、口口に「課長は年休の付与に誠意をみせない。」等と抗議し、その際原告がハンドマイクで「このように誠意をみせない課長に対しては全休をもつて抗議しよう。」等とあおり、さらに零時三九分頃谷庶会課長が大矢集配課長を救出誘導して集配課長席へ赴こうとしたところ、原告は人荷用エレベーター付近で落合恵三ほか六名とともに谷庶会課長を取り囲み口口に「年休を認めろ、庶務課長帰れ。」等と大声で同課長に抗議し、さらに集配課長席における大矢集配課長に対する集団抗議に参加し「責任をもつて返事しろ。」「庶務課長や局長は帰れ。」等と大声で叫んで零時四八分頃まで集団で抗議を続けた。
以上の事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実と<証拠>を総合すれば大矢集配課長が被服乾燥機付近まで押されて行つたのは、北垣戸ら約二〇名の者のスクラムによる威圧のため押されたもので身体に手をかけられて押されたものではないこと、原告はハンドマイクで抗議したとき左足を郵便外務班五班の順立棚の上にあげていたこと、原告がハンドマイクを持つていたのはたまたま同日昼休みの中庭での歌声集会のとき原告が使用していたのをそのまま所持していたのにすぎないこと、零時三九分頃原告らが谷庶会課長を取り囲んだ後同課長を集配課経理係西側まで押して行つたこと、原告らの抗議の内容は年休の取扱いに関することのほか不当な担務変更の中止を訴えるものであつたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
(3) 同年一一月二九日関係
被告の主張一項(二)の(11)の事実は、業務上の支障の存在、午後一時三四分頃の抗議の際の中田、落合の行動、午後三時一五分の抗議に際し原告が一〇数人の先頭に立つて抗議したこと、午後三時三一分頃の抗議の際原告が集配課職員とともにないしは中心となつて抗議したことを除き当事者間に争いがなく、右争いのない事実と、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
1 右同日午前七時三二分頃、原告は、集配課長席で、大矢集配課長に対し翌一一月三〇日の年休請求書を提出したが、同課長から「どのような用事ですか。内容によつては社会通念上の用事ということを判断すれば、たとえ業務に支障があつても承認します。」と尋ねられたのに対し「いう必要はない。」と答えたところ、同課長は「このように多数の郵便物が滞留しているので業務上支障がありますから他の時季に変更付与します。」と言つて右年休請求を不承認とした。そこで、原告は「年休は俺たちの権利である。」と抗議したところ、同課長は「年休は承認制のものであつて業務に支障がある場合は他の時季に付与することもあります。」と答え、これに対し原告が「てめえ年休を出すということを考えているのか。」と叫び、七時三三分、同課長から就労を命ぜられたのに対しても「年休を出すまで動かないぞ。」と言つて七時三七分まで就労しなかつた。
2 午後一時三四分頃、原告は中田譲二、落合恵三ら数名とともに集配課長席に来て、大矢集配課長に対し「朝の続きだ、俺の年休は考えたか。」等と抗議をしてきたので、一時三五分、同課長は「就労して下さい。賃金カツトします。」と通告したところ、原告及び中田を除く他の者は就労したが、原告は「課長、年休を出せ。」等と大声で抗議し一時四五分まで就労せず、さらに一時四六分、再び課長席へ来て大矢集配課長に対し、年休不承認に対して抗議し、同課長の就労命令に対しても「同じことばかり言つている。阿呆か。」と言つて、一時五一分に自席に戻るまで就労しなかつた。
3 午後三時一五分、原告は集配課長席へ三たびやつて来て、大矢集配課長に対し「明日の年休を考えたか。」と抗議し、同課長が「業務に支障がありますから他の時季に付与します。」と答え、その後まもなくその場に集配課職員一〇数名が集まつてきたが、原告は「業務に支障があれば年休はいつでもよいと言うのか。」と抗議を続け、落合も原告とともに強い口調で抗議し、同課長及び谷庶会課長の就労命令にもかかわらず三時一九分に原告ら一同が引揚げるまでその場で抗議を続けた。
4 午後三時三一分頃、原告は集配課職員約二〇名とともに集配課長席に来て、大矢集配課長に対し右参加者らとともに口口に「年休を認めろ。」等と抗議し、同課長及び谷庶会課長の解散命令にもかかわらず集団で抗議を続け、原告が「業務上どんな支障があるんだ。」と言つたのに対し大矢集配課長が「見れば分ると思います。多数の非常勤職員を使役していてもこのように滞留があつて業務に支障があるということが分らないかね。」と答えたが、北垣戸は「お前さんら、上司なら上司らしくせよ。」と抗議し、原告も「てめえら都合のいいことばかり言うな。」と大声で叫んだりなどして三時四九分に解散するまで抗議を続けた。
5 一一月二九日は月曜日であり、当日の名古屋南郵便局における配達郵便物数は約一一万通あつて通常の月曜日の物数の約一倍半であつたため当日中に完配するのは困難な状況にあり、また原告の翌三〇日の勤務は夜勤(午後一時三〇分から九時三五分まで)で仕事の内容は速達の配達と郵便物の取り集めであつたが、原告が年休請求書を大矢集配課長に提出したとき同課長はこれを知らず、かつ、調査もせず、或いは職員に年休を付与した際のための予備の人員(約六、七人)を補充することが可能か否かの調査もしなかつた。
右認定を左右するに足る証拠はない。
(4) (昭和四七年二月七日関係)
被告の主張一項(二)の(17)の事実は、大矢集配課長が年休不承認を原告に通知したこと、原告が欠務したことを除き当事者間に争いがなく、右争いのない事実と、<証拠>を総合すれば次の事実が認められる。
右同日午後一時一六分頃、原告は、大矢集配課長に対し、当日二時間の年休を請求したが、その際、同課長は原告に「班長さんに提出しなさい。」と指示したところ、原告はこれに従わず同課長の机上に年休請求書を置いてそのまま退局し、一時三〇分から三時四〇分まで就労しなかつた。
<証拠判断省略>
(六) (昭和四六年一一月二〇日午前七時五一分頃の事件)
被告の主張一項(二)の(8)の2の事実については当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告が大矢集配課長に「おい、課長と呼んどるのに聞えんのか、ばかやろう。」との発言したのは、原告が何度も同課長を呼んだのに同課長が返事をしなかつたためであること、同課長は、当時、他の職員から「課長、課長」と呼ばれ質問されていたため、原告に呼ばれていることに気づかなかつたことがそれぞれ認められ、右認定に反する証拠はない。
(七) (小包の指導に関する事件)
<証拠>を総合すれば次の事実が認められる。
昭和四六年一一月二七日午前八時三三分頃、原告は郵便外務班六班及び同七班の配達区域内に当日配達すべき小包郵便物の宛名を書き写したメモ用紙数枚を持つて二階の集配課主事席へ来て、同席にいた大矢集配課長に対し「小包の指導はどうするのだ。」と尋ねた。小包の指導は当該班の班長からその配達先の場所及び配達の順序について指導を受けることとされていたが、当時は全逓の順法闘争(業務規制闘争)中であつて逐一厳格に確認しあう方法をとろうということで原告は大矢集配課長に指導を仰いだものである。同課長はこれに対し「班長に聞きなさい。」と指示した。原告は、二階に七班の者がいないということは班員全員が一階の特殊郵便係へ書留受領に行つているためであると考えられたので、「書留受領の者に聞けるか。」と答え、同課長が班長に聞きに行くよう再度指示したのに対し「それは何だ、業命か。」と反問し、同課長が「業務命令だ。」と答えると「そんな業命があつてたまるか。」と叫んで主事席でタバコを喫い始めた。そこで、同課長は八時三四分、「作業に就きなさい。只今から賃金カツトします。」と原告に通告したが、原告は八時五〇分になつて七班の鳥居班長が二階に上がつてきて同班長から小包の指導を受けるまでの間その場に留まつた。当時、七班の班員は特殊郵便係に書留の受領に赴いていたのであるが、通常、書留の受領は一班につき四、五分で終わるところ、当時は順法闘争中で一班につき三〇分ないし一時間もの時間を要することもあつた。そのため、通常は書留受領が終わるのを待つて班長から小包の指導を受けているのが実状であつたが、大矢集配課長は、順法闘争中で書留受領を待つていては長時間を要するかもしれないことも考慮して、直ちに班長に聞きにいくよう指示したものである。
<証拠判断省略>
(八) (昭和四六年一二月三日の事件)
被告の主張一項(二)の(12)の1及び(12)の3のうち集会参加者数、原告の集会或いはデモ指導の点を除いた事実は当事者間に争いがない。
<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
右同日、夕刻から名古屋南郵便局郵便課職員松岡尚史に対しなされた処分に抗議するため同局中庭で抗議集会の開催が計画されていたので、同局は局内放送や通用門付近の掲示で勤務時間外の同局職員や他局職員らの入局を禁止する旨周知していた。午後五時三二分頃、勤務時間外の原告が私服で、一階郵便課事務室発着口第一スパンの扉を押して入室しようとしたところ、同室にいた郵便課長長田喜八郎がこれに気づき入室を阻止しようとして内から扉を押し戻そうとしたが、原告は扉を押し開いて入室した。同課長が「勤務者以外の入室は許可していないから入つてもらつては困る。」旨注意すると、原告は、同課長が以前研修所の講義でコーヒーの飲み方を話したことがあるのをとらえ「郵便課長はコーヒーの飲み方を教えていればいいよ。局をやめろよ。」と言いながらなおも前へ進もうとした。同課長は、これを制止しようとして原告の前に立ち塞がり再び退去するよう命ずると、原告は「何がいかん、何がいかん」と叫びながら数回ぱつぱつと同課長の顔面に唾を吐きかけ、さらに右肩で同課長の右肩を押し同課長をよろけさせ、同課長が「何をするんだ。」と言つたのに対して「俺が暴力をしたというのか。」などと言い寄つた。同課長が顔にかかつた唾を洗い落とすため洗面所に赴いたのに対しても後を着いてきて「暴力じやないぞ。」と発言した後、原告は同事務室を退室して行つた。なお、午後五時四二分頃からの抗議集会の参加者は約一四〇名であり、集会の冒頭に伊神愛知地区本部青年部長が集会の責任は地区青年部常任委員会が持つ旨マイクを使用して言明した。
<証拠判断省略>
(九) (同年一二月四日の事件)
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
右同日午前八時一四分頃、作業中の原告ら集配課職員に対し谷庶会課長、大矢集配課長ら多数の管理者が業務命令の発出或いはその立会いのため集まつてきていたところ、原告は、大矢集配課長に対し「管理者がたくさん入室してきて作業の妨害をする。」と抗議してきた。同課長は「所定の作業をやりなさい。」と命じたが、原告は「課長こそ仕事をやれよ、いくらでもやれよ。」と反論し、同課長が再度就労するよう命じ、さらに「八時一五分から賃金カツトします。」と通告したのに対し、「やれよ、いくらでもやれ。賃カツやりやあええと思つている。」と叫び、これに加わつた北垣戸とともに右賃金カツトに抗議し、八時二〇分に順立棚に戻つて作業に就くまで抗議を続けた。
右認定に反する証拠はない。
(一〇) (同年一二月一三日の事件)
被告の主張一項(二)の(16)の事実は、原告が大矢集配課長の肩を押えたこと、原告らが同課長の職務執行を妨害したこと、加藤利夫らの勤務時間が午後三時四〇分までであつたことを除き当事者間に争いがなく、右争いのない事実と、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
右同日の朝、事故郵便物が滞留していたので集配課員がその処理につき大矢集配課長に指示を仰いだところ、同課長は、配達後事故郵便物の処理ができるよう時間を見計らつて帰局するよう指示をしていた。午後二時四五分頃、同課長は、屋外配達作業から早く帰局してきた同課職員加藤利夫ら三名の者に対して勤務時間終了まで時間が余つているということで、持戻り郵便物(各人とも一二、三束)を持つて屋外配達作業に再出発するよう作業指示をした。午後三時二七分頃、同課長が自席で滞留郵便物数の集計をしていたところ、原告は、北垣戸、早川鈴男らとともに同課長の席に押しかけ、職務執行中の同課長を取り囲み、同課長の右再出発の作業指示は当日朝の事故郵便物の処理のため時間を見計らつて帰局するようにとの指示と矛盾するとして抗議を行なつた。原告らは、同課長の机上に身体を乗り出し、同課長らの退去命令にも従わず、三時三七分頃、同課長が持戻り郵便物の通数を調査するため課長席を離れようとした際、原告は、同課長の背後からその肩を両手で押えて立ち上がれないようにし、ついでその頃から同席に集まつてきた集配課職員約三〇名とともに同課長らの再三の解散及び退去の命令を無視して四時頃まで同課長に対する集団抗議を続けた。なお、加藤利夫らの勤務時間は午後三時四〇分までであつたが、勤務時間協約により右勤務時間終了前一五分間の休息時間が与えられており、ほとんどの職員が右休息時間をとる実態であつた。
<証拠判断省略>
三(本件の背景事実)
<証拠>を総合すれば次の事実が認められる。
(一) 昭和四六年七月、名古屋南郵便局に新たに森本局長、谷庶会課長、片山主事が赴任してきた。全逓の組合員の間では、森本局長が前任地の大垣郵便局で相当数の全逓脱退者を出したことや、片山主事が名古屋中央郵便局庶務会計課主任をしていた昭和四三年に全逓の組合員で支部委員、庶務副分会長の地位にありながら支部での会議の模様をメモしそれを労務担当の主事に渡していたと疑われてもやむをえない事実が発覚したスパイ事件などが噂されていた。
集配課の職場は男性だけの職場で肉体労働の面が強いことから元来職員の言葉遺いも荒い職場であるが、森本局長は名古屋南郵便局集配課の職場規律はそれ以上に乱れているものと判断した。また、同局における当時の一日平均配達物数は四一、五〇〇通程度であつたが、一、二号便とも完配されるのは月に一、二回程度で、一日平均にして約三、〇〇〇通の滞留郵便物を記録しており、名古屋市内の一七局のうち一、二号便とも完配される局は数局にすぎなかつたが、名古屋南郵便局の業務成績は相当低い方であつた。同局管内は木造の民間アパートが多いことなどから配達物数に比較して配達箇所が多いということが言えたが、右の業務成績不良の最大の原因は職場規律の混乱にあるものと同局長は判断した。
(二) そこで、森本局長は、指揮命令系統の徹底を図るため課長代理、主事、主任といういわゆる中間管理者に対する教育を強化する目的で主事、主任会議を頻繁に開き、中間管理者の掌理事項(守るべき事項)を遵守するよう指導した。この席上で、同局長は全逓の方針を批判したりすることもあり、また、同局の昭和四六年度重点施策として青少年職員の指導育成が掲げられていたためその一環として青少年職員の父兄を対象として昭和四七年三月に開かれた父兄会の席上で、集配課の職場の乱れを訴え、「その原因は全逓の青年部にあり、それもごく一部の人たちが扇動しているものである。ごく一部の人たちというのは連合赤軍と同じような人たちである。」旨説明し、同時に各父兄と個別に面談した際、北垣戸の父親に対し「息子さんは扇動している部分に入る。いつしよにやつている人たちには今後厳しく対処していくつもりだ。」と話した。右のことは、同年五月に開かれた父兄会の席上でも繰り返し述べられた。
また、同局長赴任直後の昭和四六年七月二二日、原告ら七名に対する賃金カツトを皮切りに、以後管理者に対し個人もしくは集団で抗議する職員に対する賃金カツトが続出した。管理者らは、職員の業務上の不審点を質し、或いは、抗議するなどの行動に対し、具体的な回答をなさずもしくはほとんど問答無用式に就労命令を発し、これに従わない職員に対しては賃金カツトで臨むという方法をとつた。同局長赴任以前は、職員の抗議に対し就労命令が発されることはあつたが、分刻みで賃金カツトされるということはなかつた。原告も、前記一項認定の事実のうち、昭和四六年一一月五日に合計二八分、同月二七日に一六分、同月二九日に合計二三分、同年一二月四日に五分、昭和四七年二月五日に八分、同月七日に二時間一〇分の、それぞれ賃金カツトを受けた。
(三) 全逓は、昭和四六年の全国大会で中央青年部を復活させることを決定した。当時、全逓はかつて二五万全逓と呼ばれた組織が二〇万全逓と言われるまでに縮少しており、これは郵政省当局のいわゆる「郵政マル生」と呼称される労務政策、組織攻撃の結果であると把握し、またいわゆる三長官路線と呼ばれるものに典型的に表われている当局の青年職員対策に対抗する必要があるとの判断から右青年部復活を決定した。
昭和四七年六月、全逓青年部中央委員会は、その議案書の中で、過去一年間の活動の総括をした後、具体的な活動方針として三長官会議路線に対する闘いの推進、青年部の独自要求の組織化と獲得、地区青年部、支部青年部等の組織強化などを掲げた。これら中央青年部の方針を受けて、愛知地区本部においては青年部長を専従制にして青年部運動の強化を図り、また、昭和四六年九月二五日、熱田支部青年部第一七回定期委員会においても郵政省の合理化政策、労務対策に対抗し、不当処分、権利侵害を跳ね返すため学習活動、抗議行動などを通じて組織強化を図ること、沖繩闘争には歌声集会、ワツペン、鉢巻の着用等で積極的に取り組むことを確認し、同時に北垣戸を青年部長に選出するなど新常任体制を確立した。そうして、同年一〇月下旬より沖繩闘争に突入し、同年一一月一九日からは全国統一闘争として年末闘争に突入した。愛知地区本部青年部は、その闘争方針案の中で、減額措置(病休、処分等を理由とする年末手当等からの減額)反対、昨年末全逓と郵政省当局が中央で確認した全逓敵視、不当差別をしない等の三つの確認の定着、反合理化、年末手当の要求等の重点項目を掲げ、また熱田支部青年部も労働強化、局長の組合敵視の労務対策の撤廃を訴えるなどして年末闘争を押し進めた。
(四) 本件の中庭における各歌声集会も、右愛知地区本部青年部の決定に基づき熱田支部青年部の主催により右各闘争の一環として対外的アピール、対内的団結強化のため開催されたもので、勤務者を除く約三〇名程の青年部員が、昼休み時間帯に概ね午後零時三〇分から約三〇分間円陣を組んで行なつていたもので、北垣戸が開催許可申請の責任者となり、同人が参加の呼びかけ、歌唱指導等を中心に行ないシユプレヒコールの音頭とりを各参加者に順次行なわせ、原告も歌が巧いこともあつて歌唱指導を行なうなど積極的にこれに参加した。昭和四六年一〇月二一日、森本局長は青年部員らの集会開催につき中庭を使用することを許可したが、同日、名古屋南郵便局に匿名で電話があり、片山主事がこれを受けたが、その内容は「今日の昼休みに郵便局の広場において、マイクを使つて歌を合唱しているが、歌も労働組合的なものであり、鉢巻や腕章をしているようだが、近所迷惑も考えるように労組の役員に忠告しなさい。去年もこんな状態が続いて電話で苦情を言つても止めさせられなかつた。郵便局の幹部で何ともならぬのか。」というものであり、これに対し同主事は詫びたうえ、明日からは会議室か屋上を利用させるようにする旨答え、併せて相手の名前を尋ねたが、電話の主は自己の氏名を告げなかつた。その後、右匿名電話についての報告を受けた森本局長は、管理者らと協議して中庭の使用を許可せず、三階の会議室か屋上を使用するよう指導することとし、熱田支部の役員を呼んで警告を発したり、局内掲示でこれを周知したりした。中庭を許可しない主たる理由として、同局長は歌声やシユプレヒコールは騒がしいので近所の迷惑になるからとしていた。
なお、昼休み時間帯には日本郵便逓送の車が二、三回中庭へ出入りするが、集会参加者らはこの車の出入りに際しては円陣を小さくするなどして車の通路を空けていた。また、昭和四八年熱田支部青年部が近所を廻つて調査したところ、騒音等に対する具体的な苦情を聞くことはなく、前記架電の主も発見できなかつた。
右のような局の方針から中庭の使用を許可されなくなつてからも、北垣戸は中庭の許可申請を続け、一方森本局長は谷庶会課長らに事前に一括的に中庭の使用を許可しないよう指示し、青年部員らの中庭における歌声集会が開催されると、管理者のほとんどの者が中庭へ出てハンドマイクを用いるなどして集会の解散を命じ、或いは、参加者ら一人一人の名を呼んで解散を命じ、時には円陣の中に割つて入つて解散させようとするなど騒然とした状態になることもあつた。
(五) 森本局長は、職員の年休請求は、課長に出す前に班長(主任)を通して年休請求書を出させることを徹底させる方針を管理者らに指示したが、全逓愛知地区本部では中央の方針を受けて年休請求は所属長(課長)に提出するよう指示していた。局側が班長を通させることとする理由は、班長が各班の業務の状況を最も把握できる立場にあるから班長から課長に年休付与に関する意見を具申させるのが適当であるというものであるが、これに対し組合の反対する理由は、班長には年休付与の権限はないのに班長を通させるのは中間管理者育成の一環として一般組合員と中間管理者たる組合員との分断を企図するものであるというものであつた。
集配課においても、大矢集配課長は、職員の年休請求に対し、まず班長の印鑑をもらつてくるよう指示し、職員がこれに従い印鑑をもらつてくると、班長が同じ部屋の中にいるのに班長に問合せをすることもなく業務上の支障があることを理由に不承認とすることがしばしばあり、時には職員が指示に従わないと自ら班長の印鑑を押してくることもあつた。そして、概して年休は職員の請求にかかる日には付与されず、また年休消化率も低い状態であつた。
(六) 前記年末闘争は、中央では昭和四六年一二月四日、熱田支部では同月一四日それぞれ収拾されたが、年末闘争に入つてから名古屋南郵便局では業務命令発出権限のない主事、主任に業務命令の伝達をさせるいわゆる伝達業命がなされるようになつた。全逓熱田支部青年部は、伝達業命は中間管理者と一般組合員の分断を図るものとしてこれに反対し、この伝達業命を巡つてトラブルが発生することもあつた。
なお、森本局長は、昭和四七年三月三〇日、北垣戸ら一一名に対し年末闘争中の集団抗議、無許可集会、暴言等を理由に減給、戒告、訓告等の処分を行なつた。また、同年四月、五月には、集配課の主事、主任を中心に三八名の全逓脱退者が出、森本局長赴任前には一八名程いた集配課の主事、主任中の全逓組合員は同局長赴任中にすべて全逓から脱退した。
(七) 昭和四五年一〇月九日、名古屋南郵便局郵便課通常係古井正一は、郵袋の数の確認作業をしている際、その記録をする担当であつた同課発着係今井正志に対しその旨指示したところ、同人が了解の意を表するため首を振つたのに立腹し、同人に対し「若いのに生意気だ。」などと叫び、また傍にいた伊藤国男に対しても「きさまは職員に対してどういう教育をしているのだ。」と文句をつけ、同人がこれに反論すると、同人を表へ連れ出しその左腕を捻じ上げるなどの暴行を振つた。伊藤は前記笠寺病院で左前腕挫傷、要加療一〇日間との診断を受けた。古井はこの直前に全逓を脱退し、この後まもなく全郵政に加盟した者で、一方伊藤は全逓熱田支部の執行委員であつたが、同支部では右暴力事件をうやむやにせず、古井に対し厳正な処置をとるよう局に要請したが、同人に対する処分はなされず、かえつて、同人は局の推薦を受けて高等部二科試験を受験し、名古屋中央郵便局特殊課主任として栄転した。
<証拠判断省略>
四(懲戒事由該当性)
原告は、被告が本訴において、原告に対する本件懲戒免職処分にあたり原告に交付された処分説明書に記載されていない新たな処分事由を追加したが、右追加された処分事由を判断の資料とすることはできない旨主張するが、被告の主張一項(一)の事由は右処分説明書の(1)に記載されていたことは明らかであり、また、同項(二)の各事由についても、右処分説明書の(2)において「昭和四六年一〇月二九日頃から昭和四七年二月七日頃までの間において」と期間を特定したうえ、「同局管理者の就労命令もしくは解散命令を無視し、勤務を欠き、あるいは同局管理者に対し集団で抗議したばかりでなく、同局管理者の身体を押し突き、引つ張る等して、著しく職場の秩序をぴん乱した。」とやや概括的にすぎる嫌いがあるとはいえ、ある程度行為の態様、相手方等も明確にされており、右処分説明書に包括的に記載されていた事項を具体的かつ詳細に示したものと解しても不合理であるとはいえないから、原告の右主張は採用することができない。
そこで、前認定の原告の各行為を懲戒事由とすることができるか否かについて順次検討する。
(一) (昭和四七年二月五日の事件)
原告が片山主事から公用手帳を奪つた行為は、同主事からタバコを返還してもらうためにやむを得ずなされた行為と解することはできず、また、喫いかけのタバコと公用手帳が同価値のものとみることもできない筋合のもので、国家公務員法九九条に違反し、同法八二条一号及び三号に該当するものといわざるをえない。
片山主事が原告の行為により傷害を受けたとの事実の真実性については、同主事には何ら外傷がなかつたこと、北垣戸らが早川医師から受けた説明などから疑問を払拭することはできず、しかも、被告が片山主事が傷害を受けたと主張する通用口のドアー付近では、原告は同主事の身体に対して危害を加える意思を有せず、同ドアーから局外に出ることに専心していたものであり、原告には同主事に対する暴行の故意がなかつたと評価せざるをえない。また、他の場面においても、原告が同主事や植手副課長の追跡から逃れるため同人らの身体を振りほどいた程度のもので、全体として見る時、植手副課長に対する行為を除きこれらを同人らに対する暴行と評価するのは困難であり、右植手副課長に対する暴行もさ程情状が重いとは考えられない。しかしながら、他の職員の中には勤務中の者もあつたと考えられる状況において、正当な理由なく片山主事から公用手帳を奪い、同主事らの追跡から逃れるためとはいえ局内を混乱に陥れ植手副課長に暴行を加えた原告の行為は国家公務員法九九条に違反し、同法八二条一号及び三号に該当するものといえる。
ところで、原告が同日午前一一時五五分から午後零時三分まで勤務を欠いたとの点につき検討するに、当時午後零時直前から食事に出かける職員が多くこれを問責されることはなかつたのが職場の実態であつたとはいつてもそれが未だ慣行となつていたとまでは認められず、まして、原告は勤務時間中の午後一一時五五分頃には未だ食事に出かけようとする態勢にはなく勤務中であつたと推認されるところ、そのまま片山主事とのトラブルに陥入り、そのあげく上司の勤務時間中であるとの注意にも耳をかさず食事に出かけてしまつたのであるから、これを欠務と評価されてもやむをえないところで、このことはまた国家公務員法一〇一条一項所定の職務専念義務に違反するものとして、同法八二条一号及び三号の懲戒事由に該当するというべきである。
(二) (全逓旗掲揚に関する事件)
<証拠>によれば、「郵政省庁舎管理規程」(昭和四〇年一一月二〇日公達第七六号)は第六条で「庁舎管理者は、法令等に定めのある場合のほか、庁舎等において、広告物又はビラ、ポスター、旗、幕、その他これに類するものの掲示掲揚又は掲出をさせてはならない。ただし、庁舎等における秩序維持等に支障がないと認める場合に限り、場所を指定してこれを許可することができる。」と規定し、更に第一二条で、右第六条違反の掲示、掲揚等に対しては庁舎管理者は撤去を命ずることができ、その命令に従わない場合に、庁舎等の秩序維持のため緊急の必要があると認める時は、自ら撤去することができる旨規定していることが認められ、これに反する証拠はない。
右「郵政省庁舎管理規程」は、郵政大臣の有する国の郵政事業の目的に沿うよう行政財産を維持、保存及び運用すべき義務と権能(いわゆる庁舎管理権)を明確化したもので適法であることはいうまでもなく、この管理権限の委任(同規程二条一項)を受けた森本局長が、無許可の本件全逓旗掲揚に対し、右規程に基づき谷庶会課長を介して撤去命令を発したのは適法であるというべきである。また、当日の許可された屋上における歌声集会は昼休み時間中の午後一時までであり、全逓旗掲揚も約一〇分後の午後一時には組合員らの手によつて自ら撤去される可能性があつたと考えられるとはいえ、全逓旗の掲揚されたのは屋上ポールという目につきやすい場所であつたこと等を考慮すれば前記撤去命令に従わなかつた以上、庁舎等の秩序維持のため緊急の必要があつたといえるから、自らこれを撤去しようとした同課長の措置は適法な職務行為であつたと解される。
したがつて、原告が同課長の適法な職務執行に対して、これを妨害し、暴力的に阻止しようとし、或いは、執拗に抗議して暴言を吐いたことは休憩時間中の所為であるか否かに関わりなく国家公務員法九八条一項に違反し、同法八二条一号及び三号に該当するというべきである。
(三) (中庭における無許可集会に関する事件)
<証拠>によれば、「郵政省庁舎管理規程」は第四条において「庁舎管理者は、庁舎等における秩序維持に支障がないと認められる場合に限り、庁舎等の一部をその目的外に使用することを許可することができる。」と規定しているが、庁舎管理者の右許可権限は、もとより全くの自由裁量に委ねられているものではなく、庁舎の目的外使用に対する合理的理由のない不許可が裁量権を濫用するものと目される場合のあることは否定できない。特に、労働組合の団結活動のための庁舎の利用については、憲法上の労働基本権保障の趣旨や労働者の団結の基盤が職場にあることなどから使用者は組合の施設利用に対してはその施設管理権の行使につき一定の制約を受けると解すべきであるから、庁舎管理権者は、その許可、不許可の運用について慎重を期さなければならないというべきである。
前記三(四)で認定のごとく、森本局長は中庭における本件各歌声集会を許可しない理由として歌声やシユプレヒコール等が騒がしく近所の迷惑になることを掲げているが、近隣からの苦情の電話の趣旨は歌声が騒がしいというより、歌の内容、腕章、鉢巻等の着用に関するものであり、歌声集会の開催が昼休み時間帯であること、無許可集会に対する管理者らのハンドマイクを用いる等の対応ぶりはかえつて騒音を高めていたことなどからして、騒音で迷惑を及ぼすというのは不許可の真の理由ではなく、労働歌、腕章、鉢巻等に対する嫌悪感(近隣の一部住民の者も含めて)が真の理由であると推認される。本件各歌声集会は全逓愛知地区本部青年部の決定に基づき熱田支部青年部の主催により名古屋南郵便局の青年部員の団結強化、団結誇示のため開催されていたもので、もとより正当な組合活動の範疇に属するものであり、休憩時間中の組合活動につき、組合員らが腕章、鉢巻等を着用し、或いは、労働歌等を合唱することが正当な組合活動の範囲を逸脱するものともいえないのは明らかである。また、日本郵便逓送の車の出入りの際には、集会参加者らはその通路を空けていたのであり、他に本件各歌声集会が庁舎の秩序維持に支障を及ぼすべき事情も認められないことからすれば、森本局長が前記の理由により本件各歌声集会の開催につき中庭の使用を不許可としたのは、庁舎管理権を濫用するもので許されないといわなければならない。なお、中庭使用の代替措置として三階会議室や屋上の使用を同局長が指導していたからといつて、本件各歌声集会の目的からして青年部が中庭を使用するのが最も効果的であると判断したのには理由があり、中庭使用を不許可にした措置を合理的ならしめるものではない。
(1) (各歌声集会における暴言)
昭和四六年一一月四日の「犬、犬、帰れ。」同月九日のハンドマイクを使用しての「にやけた顔がひんまがる時のくることを覚えておけ。」、同年一二月六日の「馬鹿野郎、自分の仕事を一生懸命やれ。」「阿呆、気違い。」同月九日の「うるさい、馬鹿野郎。」等の原告の発言は、いかに中庭使用の不許可が違法で管理者らの集会解散のための職務執行が適法な根拠を持ちえないとはいえ、右のような発言自体は相手方に対する釈明でも抗議でもなく、一方的、侮蔑的に憎悪の感情を表現するもので穏当を欠くというほかはないから、国家公務員法九九条に違反し、同法八二条一号及び三号に該当するといわざるをえない。
(2) (昭和四六年一一月四日関係)
前認定の事実から判断すれば、森本局長の比較的平静な対応ぶり、同局長と原告の位置関係、原告のその後の対応ぶりからして、原告が同局長に故意に唾を飛ばしたとは認め難い。しかしながら、大矢集配課長の背後から肩を押した行為は、国家公務員法九九条に違反し、同法八二条一号及び三号に該当するといえる。
(3) (同年一一月一〇日関係)
原告が北垣戸と一緒になつて、ハンドマイクの件に関し谷庶会課長に抗議した行為は同課長の身に覚えのないことに難癖をつけ同課長を恫喝するもので、原告のこの行為は国家公務員法九九条に違反し同法八二条一号及び三号に該当するといわざるをえないが、原告が同課長の進路を妨害したことは同課長の職務執行が適法とはいえないのであるから、懲戒事由とすることはできない。
(4) 前記のとおり、本件各歌声集会開催について中庭の使用を不許可にしたのは庁舎管理権の濫用であつて違法であるから、原告が右集会を指導し、或いは、これに参加したからといつて、これを懲戒事由とすることはできず、右(1)(2)(3)の各行為のほかに、中庭での歌声集会中に原告に懲戒事由に値する行為があつたとは認められない。
(四) (腕章、鉢巻に関する事件)
本件腕章、鉢巻の着用行為は、前記認定の事実からすれば、原告や北垣戸らが熱田支部青年部の組合活動の一環として上司の取外し命令を拒否する決意の下に組合の団結を示威する趣旨の精神的活動を一定時間維持したものにほかならず、これが就業時間中の組合活動にあたることは明らかである。ところで、<証拠>によれば、郵政省就業規則は第五条において職務専念義務を規定し、これを承けて第二七条で原則として職員の就業時間中における組合活動を禁止しているのであり、原告らの前記組合活動が右就業規則の規定に違反することはいうまでもなく、同時に国家公務員法一〇一条にも違背する筋合である。そして、就業時間中の組合活動を禁止する規定は、労務の提供中これと矛盾し、これを阻害する組合活動に限り禁止したものと解することはできない。したがつて、具体的な業務阻害性の有無を問わず就業時間中の組合活動は許されないものというべきである。また、更に前記郵政省就業規則は、第二五条で職員の服装に関し「職員は服装を正しくしなければならない。職員は制服等を貸与され、又は使用することとされている場合には、特に許可があつた場合のほか、勤務中これを着用しなければならない。」と規定している。ところで、本件では赤地に白く「全逓熱田支部青婦人部」等を染めぬいた腕章及び白地に赤く「団結全逓」と染めた鉢巻が着用されていたのであるが、右腕章、鉢巻の形態、色彩等を考慮するならば、それが右就業規則にいう「正しい服装」に該らないというのほかはない。したがつて、管理者が腕章、鉢巻の着用者に対してその取りはずしを命ずるのは適法な職務行為というべきである。
そうすれば、腕章、鉢巻等の取りはずしを命じられたのに対し、原告が主観的にこれを組合活動に対する介入ととらえこれに抗議する意思であつたにしても、「馬鹿」や「阿呆」呼ばわりして管理者らを罵倒する行為は暴言というのほかはなく、原告の昭和四六年一一月八日、同月二〇日、同年一二月九日の各暴言は、国家公務員法九八条一項に違反し、同法八二条一号及び三号に該当する非違行為というべきである。
(五) (年休請求に関する事件)
年休の権利は、労基法三九条一項、二項の各要件が充足されることにより、法律上当然に労働者に生ずる権利であつて、労働者の請求をまつて始めて生ずるものではなく、労働者が有給休暇の時季指定をしたときは、使用者において時季変更権を行使しない限り年休が成立し、当該労働日の就労義務が消滅すると解するのが相当であり、また、使用者の時季変更権の行使の要件である「事業の正常な運営を妨げる」か否かの判断は、当該労働者の所属する事業場を基準として、当該労働者の職務の性質、繁閑、職場における配置、補充の難易、同時に年休を請求する者の人数などを考慮して合理的な事由があるといえるか否かの観点にたつてなされなければならない。
(1) (昭和四六年一一月五日関係)
当日、原告の所属する二班で東海銀行から差出された大口のダイレクトメールがあつたため、大矢集配課長は、原告の同日午後三時間の年休請求を許可せず時季変更権を行使したのであるが、同課長の時季変更権の行使が許容されるか否かにつき以下検討する。
まず、<証拠>によれば、郵政省就業規則は、年休付与につき計画付与と自由付与の二通りの方法を定め(原告の当日の年休請求は自由付与に関するものと認められる。)、自由付与の場合の年休請求については、所属長に対してその希望する日の前日の正午までに請求書を提出しなければならないと定めていることが認められる。右請求手続の規定は、管理者の時季変更権の行使との関係で、時季変更権行使の要否を調査、検討するため管理者に判断資料を与える時間的余裕をもたせる意味で合理性を有するとはいえ、この手続に反した年休請求につき、その受理を拒み或いは資料を検討することなく時季変更権を行使しうることまでを許容した趣旨のものとは解せられない。ところで、原告の年休請求は、当日午後の分につき当日の朝になされたもので右手続を履践していないことは明らかであり、いささか濫用気味ではあるが、大矢集配課長が補充要員で補充可能か否かの調査もしなかつたことは労働者の年休請求に対する認識が安易にすぎると評価されてもやむをえぬところである。
また、大口のダイレクトメールが差出されることはしばしばあつたこと、その場合、普通の封書やはがきが多数あつてそれらを優先させる取扱いをするため計画配送という方法もとられることがあつたこと、大矢集配課長はこの方法をとり得たのにもかかわらずこれを考慮しなかつたこと、郵便配達という職務の公共性を考慮すればすべての郵便物を同格に扱い、当日中に完配させることが望ましいとはいえ、現実には、名古屋南郵便局でもダイレクトメールを普通郵便物と区別し普通郵便物優先の取扱いをしており、完配は目標ではあつても多くの他局同様実現は困難であつたこと、完配が不可能に近い状態にあつたとはいえそのため利用者に多大な迷惑を及ぼすおそれがあつたとすべき事情は認められないことなどを併せ考慮すれば、大矢集配課長はダイレクトメールの当日中の完配にとらわれ、しかも、原告所属の班の事情のみを取りあげて、事業場即ち集配課全体の正常な運営が阻害されるか否かの観点を無視し、年休付与のための基礎資料の調査もなさずして時季変更権を行使したものであり、これは、とりもなおさず時季変更権を濫用するもので違法というのほかはない。また、同課長の北垣戸に対する年休付与についても、如何に同人からの申出に応じたものといつても、午前中の小包完配を条件に午後の年休を付与するという方法は、<証拠>によれば、北垣戸が午前中に小包を完配することができなければ午後の年休を取消すつもりであつたというのであるから、北垣戸の個別的業務の遂行終了を条件に時季変更権の行使を留保したもので、労働者の年休請求権と使用者の時季変更権についての前記の関係を考えると到底許されるものではなく、これを条件附時季変更権の行使と考えても許容されうるものではない。
そうすると、同日午前の原告の同課長に対する抗議、午後の他の職員と協同してなした抗議はいずれも正当な抗議であり、同課長の就労命令に対し、これに従わなかつたからといつて、これを賃金カツトの対象とできるか否かは格別、懲戒事由とすることは許されないといわなければならない。また、抗議の際、原告が多少乱暴な言辞を吐いたとしても、これを暴言と評価し、懲戒事由とするのは、右抗議が正当な根拠をもつ以上許されないものである。
しかしながら、原告が同課長から自分は午前八時より年賀はがき購入者の列の整理に赴くよう指示を受けている旨を告げられた後も、同課長の前に立ち塞がり抗議を続けたことは、同課長の適法な職務遂行を妨害したもので、たとえ抗議に理由があつても許されるものではなく、国家公務員法九八条一項に違反し、同法八二条一号及び三号に該当するといえる。
(2) (同年一一月六日関係)
当日の抗議は、大矢集配課長の年休の取扱い、及び、担務変更に関してのものであるが、年休の取扱いに関しては前日の一一月五日の件、及び前記三(五)で認定の事実に照らせば、原告らの抗議には正当な根拠があるものといえる。
担務変更については、<証拠>によれば、名古屋南郵便局では北垣戸ら全逓組合員が就業時間に入つてから確定した担務(仕事の種類)を変更するなら少なくとも当該職員の同意を得べきことを要求し、また、手隙時間に予定にない別の担務を命ぜられることに反対していたこと、その理由とするところは責任の所在が不明確になることや手隙時間が剥奪されることなどにあつたこと、郵政省就業規則は第一〇条で「職員は、業務の都合により、その配置を変更されないで、臨時に他の事務の担当を命ぜられることがあるものとする。」とし、第六〇条で欠務の発生や業務輻輳、急速処理を要する業務があつて人員の繰り合せ上必要のあるときなどに勤務の指定を一部又は全部変更することがあり、その変更は直前の勤務日の勤務終了までに通知し、急病、交通遮断その他これに類する突発的理由のある場合は右時刻を過ぎて通知することがある旨規定していることが認められ、右認定に反する証拠はない。いわゆる担務ないし勤務の変更は、郵便局の持つ職務が多種類あつて各職務の繁閑の度合が一様でないなどの理由により、その全体の業務を円滑に運営させることを目的とするものと解されるが、右就業規則の規定によれば、管理者の一方的都合によりなされうるものではなく、当日の担務につき就業時間に入つてから変更することは急病、交通遮断等に類する突発的理由がなければ許されないとされていること、手隙時間といえども就業時間中であるから右規定に基づく変更は許されるけれども、単に手隙時間を利用して業務運行の向上をはかるための変更を右規定は予定しておらず、この場合も就業時間に入つてからの変更であるから急病、交通遮断等に類する突発的理由を要することなどからすれば、北垣戸らの不当な担務変更ととらえたうえでの抗議も一応理由のあるものと考えられる。
そうすると、同日の集団抗議は正当な根拠をもつものといえるから、この点につき原告が懲戒事由に問われる筋合にはない。また、この際、前認定程度の有形力の行使があつたとしても、それは通常の抗議に伴うものの域を出るものとは認められず、この点についても懲戒事由とすることは許されないというべきである。
(3) (同年一一月二九日関係)
当日の原告の年休請求は翌一一月三〇日の分についてであり、三〇日の原告の勤務は夜勤で速達の配達と郵便物の取り集めであつたのであるから、二九日当日に多数の滞留郵便物があること自体は原告の右勤務との関係で集配課の業務の正常な運営に直接影響を及ぼすことはありえない。また、原告に年休を付与すれば、日勤勤務の者から一名夜勤にまわすことになり滞留郵便物の処理に支障を及ぼすといつても、大矢集配課長は、年休請求にかかる三〇日の原告の勤務の種類すら調査せず、まして補充要員によつて補充可能か否かの調査もしていないのである。以上の事実からすれば、その余の点を考慮するまでもなく、大矢集配課長の時季変更権の行使は権利の濫用として許されないのは明らかであるというべきである。
そうすると、原告の抗議、及び、原告らの集団抗議は正当な抗議であり、就労命令不服従についても前同様懲戒事由とすることは許されず、抗議の際の多少粗野な言辞も通常の抗議に随伴する域を出ず、同じく懲戒事由の対象とはできないというべきである。
(4) (昭和四七年二月七日関係)
前記のとおり、年休の自由付与の場合の就業規則上の請求手続を履践しない請求に対しても、管理者はこれを拒否できず、また、名古屋南郵便局では所属長ではなく年休付与(時季変更権行使)権限のない班長を通して年休請求させる取扱いをしており、このこと自体は就業規則の所属長に提出すべき旨の規定には反するが班長が班の業務の状況を把握しやすい立場にあることから一応合理性を有するとはいえ、右規則にのつとり直接所属長である課長に請求してきたのに対し、その受理を拒むことまで正当ならしめるものでないことも明らかである。しかも、前記三(五)で認定の事実によれば、班長を通させる取扱いは形式化しており、課長と班長が同一の部屋にいることをも考え併せると右取扱い自体の合理性を肯定することすら困難であるというのほかはない。
そうすると、当日、原告が大矢集配課長の班長に提出するようにとの指示に対し即座に同課長の机上に年休請求書を置いて退局してしまつたことは、いささか性急にすぎるとはいえ許されるものというべく、同課長が時季変更権を行使しなかつた以上原告はその請求にかかる時間帯につき年休をとることができるというべきである。なお、原告の当日の勤務は日勤であつたと推認されるところ、前記二(一〇)で認定の事実によれば、午後三時四〇分前の一五分間は勤務時間協約により休息時間が与えられていたのであるから、原告が請求していた二時間を越える午後三時四〇分まで就労しなかつたのは当然であると考えられる。したがつて、原告は欠務との評価を受けるものではない。
(六) (昭和四六年一一月二〇日午前七時五一分頃の事件)
大矢集配課長が如何に原告の呼びかけに気づかず、これに答えなかつたからといつて「ばかやろう」呼ばわりすることが許されるものではなく、また当時の名古屋南郵便局における労使関係が混乱しており、集配課の職場が男性ばかりの職場であることなどにより職員の言葉づかいが荒かつたとしても、原告の言辞を暴言と評価することを妨げるものではない。したがつて、原告の右暴言は国家公務員法九九条に違反し、同法八二条一号及び三号に該当するものである。
(七) (小包の指導に関する事件)
書留の受領が緊張を要する作業であり、したがつて、通常の場合は書留受領中の者に小包の指導を受けに行くことは避けられていたであろうことは推認するに難くないところであるが、昭和四六年一一月二七日当日は順法闘争中であり、書留受領に長時時間を要することが予想されたのであるから、大矢集配課長が直ちに鳥居班長に指導を受けるよう指示したこと自体適法というべく、原告が同課長の指示に従わず、更に同課長の就労命令にも従わなかつたことは国家公務員法九八条一項に違反し、同法八二条各号に該当する懲戒事由であるというべきである。当時、順法闘争中であつたことが、原告の右業務命令不服従を正当づけるものでないことは多言を要しない。
(八) (昭和四六年一二月三日の事件)
(1) 午前中の口笛の件に関しては、原告が長時間口笛を吹いていたとする<証拠>は、<証拠>に照らし措信し難く、他に原告が長時間口笛を吹いていた事実を認めるに足りる証拠もない。そうとすれば、集配課内での作業が特に静粛を要求される性質のものではなく、短い時間の口笛が他の作業者に対する妨害になるとも考えられないのであるから、谷庶会課長が原告に対し口笛をやめるよう注意したのは管理者のもつ業務上の指揮命令権をいささか濫用したものというべく、これに対する反論は許されるというべきである。しかしながら、「馬鹿野郎、帰れ。」との発言は、正当な抗議の域を出るもので、当時の名古屋南郵便局での労使関係の混乱、集配課職員の言葉づかいの荒さ等を考慮に入れても不穏当なものというを妨げず、右発言は国家公務員法九九条に違反し、同法八二条一号及び三号に該当するといわざるをえない。
(2) 当日の抗議集会については、許可がなされておらず(許可申請がなされたか否かも証拠上明らかでない。)、他局の職員の参加も予想されたのであるから、名古屋南郵便局において、勤務時間外の職員や他局の職員の入局を禁止し、局内の業務に支障のないよう配慮する措置をとつたことは正当というべく、原告の郵便課事務室への入室を阻もうとした長田郵便課長の行為は正当な職務行為であるといえる。したがつて、原告が、同課長の右適法な職務執行に対し、同課長に「局をやめろよ。」等の暴言を吐いた行為、唾を吐きかけた行為、同課長の右肩を押した行為はいずれも国家公務員法九九条に違反し、同法八二条一号及び三号に該当する懲戒事由を構成することは明らかであるといわなければならない。
(3) 同日夕刻の抗議集会は、処分に対する抗議が正当な根拠をもつか否かに関わりなく、他局職員を混えた多数の参加者により夕刻から開催される予定のものであつたことを考えれば、たとえ許可申請に対し名古屋南郵便局においてこれを不許可にしたものであるとしても庁舎管理権の濫用として違法であるとは到底解しえない。右抗議集会は、愛知地区青年部常任委員会を開催責任者とするもので、原告本人尋問の結果によれば、原告は当時愛知地区青年部常任委員であつたことが認められるうえ、原告の右集会での行動をも併せ考えれば、原告は右集会に積極的に参加し、右集会について指導的役割を担つていたと推認しうる。したがつて、原告の右集会を指導し、これに参加した行為は、国家公務員法九九条に違反し、同法八二条一号及び三号に該当するというべきである。
(九) (同年一二月四日の事件)
前記三(六)で認定のとおり、当時全逓熱田支部青年部はいわゆる伝達業命に反対していたのであるが、伝業業命は単に業務命令を伝達するにすぎないもので、業務命令発出権限のない者が業務命令を発出するというものではないのであるから、そのこと自体が法令等に違反するとは到底解しえない。しかしながら、一二月四日のごとく、多数の管理者が業務命令発出或いはその立会いのため集結するというのは、いささか異常であり、その必要性がいか程あつたか否かは大いに疑問の存するところで、労使関係を不必要に硬直化させるものであるといわざるをえない。原告が、これに対して「作業の妨害をする。」という理由で抗議をしたのは、いささかおおげさにすぎるが、大矢集配課長が原告の右発言があるやいなや直ちに就労するよう命じたのは、就労させること自体を目的とするものではなく、原告の右抗議を中止させるところにその真の意図があつたものと解せられ、また、原告の反論に対し直ちに賃金カツトを前提とする就労命令を発したのは、原告が当時自己の担当の持場を離脱していたのではないことよりして、これも原告を沈黙させることを目的としたものというべく、原告と北垣戸が右賃金カツトの通告に抗議したのは、同課長の業務命令に名を藉り、これを濫用した行為に対するものであり、原告の抗議も一応理由のあるものと考えられる。管理者が一方で不必要な業務命令を乱発しながら、これに従わなかつたことをとらえ、これを懲戒事由に該るとするのは極めて不合理である。
(一〇) (同年一二月一三日の事件)
大矢集配課長の同日朝の指示と午後の再出発の指示は、表面上矛盾するように見えるが、加藤利夫らは勤務時間終了まで四〇分もあるのに多数の郵便物を持ち戻つたというのであるから、同課長が右再出発の指示をしたのは郵便局の職務の公共性をもち出すまでもなく当然の業務上の指示であるといえる。したがつて、これに対する原告らの抗議は理由がなく、同課長の職務を妨害し、背後から肩を押えた行為は、勤務時間終了後の行為であるか否かに関わりなく、いずれも国家公務員法九九条に違反し、同法八二条一号及び三号に該当するものである。
五(本件懲戒免職処分の違法性)
原告は、昭和四七年二月五日の事件につき、原告が南警察署に告訴され、本件懲戒免職処分当時、原告の起訴、不起訴は判明していなかつたのであるから、国家公務員法八五条の解釈として、このような場合も、被告において人事院の承認を得るのでなければ原告に対する懲戒手続を進めることはできない旨主張するけれども、本件懲戒免職処分は右二月五日の件のみを懲戒事由とするものではないうえ、国家公務員法八五条は、懲戒の対象となるべき事件が起訴され刑事裁判所に係属する間において懲戒処分手続を進めるについての手続上の要件を規定するもので、未だ起訴されていない事件についてまで右規定を準用ないし類推することは適切でないから、原告の右主張は採用の限りでなく、右二月五日の事件を本件懲戒免職処分の事由の一として判断の資料とすること自体当然許されるものといえる。
(一) 前記四において説示のとおり、原告には、昭和四七年二月五日の公用手帳奪取、局内を混乱に陥れた行為、暴行、職場離脱の各行為、昭和四六年一〇月二九日の職務執行妨害、暴力的行為、暴言、中庭における歌声集会中の同年一一月四日、同月九日、同年一二月六日、同月九日の各暴言及び右一一月四日の暴力的行為、同年一一月一〇日の理由なき抗議行為、鉢巻、腕章着用に関する同年一一月八日、同月二〇日、同年一二月九日の各暴言、年休請求に関する同年一一月五日の職務執行妨害、同年一一月二〇日の暴言、同月二七日の業務命令不服従、同年一二月三日の暴言、暴力的行為、抗議集会指導等の行為、同月一三日の職務執行妨害、暴力的行為の各懲戒事由が存在する。
そこで、本件懲戒免職処分が懲戒権を濫用するものであるか否かにつき以下検討することとする。
(二) 本件においては、名古屋南郵便局集配課における異常なまでの管理者と青年職員(全逓熱田支部青年部員)との対立関係にまず注目せざるをえない。その原因の一端は、熱田支部青年部員の自己の職務の中に組合絶対主義を持込んだ非にあることは否定できないところであるが、前記三で認定の事実によれば、昭和四六年七月に森本局長らが赴任して後右対立関係がエスカレートしたものといわざるをえない。即ち、青年部員らが管理者らに対し時には異常とも思えるほどの過激な方法で対抗したのには、管理者らが中庭における歌声集会を阻止するのに異常な執着を示したこと、年休に対する扱いが不合理なものになつたこと、就労命令、賃金カツトの乱発等業務命令を絶対視し職場における対話、協調を無視したまま一途に上命下服の指揮命令系統の徹底をはかる態度等により青年部員らの反管理者意識を強めたことが主たる要因となつていたことは否めない。また、同青年部員らの意識の底には、森本局長、片山主事についての反組合的行為の前歴に関する噂により同人らに対し不信というよりもむしろ憎悪に近い感情が芽生えていたのであり、現実に森本局長は全逓敵視といいうる意識の持主でそのための施策を実現しようとしていたと推認される。もつとも、同局長が強力に自らの信念に基づく労務対策を押し進めようとした背景には名古屋南郵便局の職場規律の乱れ、業務成績の悪さがあつたことは否めないが、従来の職場慣行を軽視し急激な改革をはかろうとしたのは性急にすぎ職員の理解を得るための努力に欠ける点があつたといえる。これらの諸事情を併せ考えれば、右対立関係を作り出した主たる原因は森本局長赴任後の強力な労務対策推進にあつたものといつても過言ではない。
右対立関係は組合の年末闘争を契機に悪化の一途をたどつたのであるが、年末闘争に対する組合の取り組み方の中には違法と評価されてもやむをえないものがあつたとはいえ、これに対する局側の対応にも反組合的意図を露骨に現わした違法なものも含まれていたのであり、組合員らがこの対立関係の中で逐一正当な組合活動の範疇に属するか否かの点検を怠り、管理者に対する対抗意識を行動のすべての原動力として、右対立関係を更にエスカレートさせていつたことを、一方的に組合員の側にのみ非があつたと評価しえない。
(三) 原告の懲戒事由に該当する前認定の行為のうち、昭和四七年二月五日の事件のほかは、すべて右年末闘争等の中での労使の対立関係の中で惹起されたものであり、そのうち昭和四六年一二月三日の長田郵便課長に対する暴力的行為を除いて他の各行為はいずれもその情においてけつして重大とはいいえない。即ち、中庭における歌声集会中の各非違行為は暴力的行為といつてもそれほど強いものではなく、他の行為についても管理者らの執拗な妨害に対抗したものであること、全逓旗掲揚に関する件についても右妨害と同様のものと原告らがとられたのにも無理からぬ面があり、結局全逓旗は組合員の手により自ら撤去されたこと、鉢巻、腕章に関する件についても組合活動に対する介入としてとらえこれに抗議する意図より出たものであること、年休請求に関する一一月五日の件については大矢集配課長の方にも時季変更権行使にあたつてその濫用があり、原告に対する応対ぶりもいささか冷淡にすぎたこと、一一月二七日の業務命令不服従についてもその直後鳥居班長から小包の指導を受けていること、一二月一三日の件についても大矢集配課長に説明不十分の点があつたことなどを考慮すれば、一方的に原告のみが重大な非違行為を犯したものとして非難されるのはいささか酷といわなければならない。
一二月三日の長田郵便課長に対する原告の行為には何ら弁明の余地なく、その責任は重大である。
最後に、昭和四七年二月五日の事件については、前記のとおり、原告の行為を窃盗或いは傷害と認定することは困難であり、そもそもの発端を作り出したのは原告ではなく北垣戸であること、片山主事にも不用意に原告を刺激する発言のあつたこと、職場離脱もごく短時間のものであつたことなどを考慮すれば、情においてさほど重いとは言い難い。
(四) そもそも、本件懲戒免職処分は、処分説明書の体裁を押出すまでもなく、右二月五日の事件を最も重視してなされたものである。ところで、前記年末闘争中の事件については、そのほとんどに北垣戸が関わつているばかりでなく、右二月五日の件についても同人がその発端となつているのであるが、同人に対する懲戒は減給処分に留まつているのである、しかも、前記古井正二の事件に関しては、同人に対し、何らの処分すらなされていない。これらのことと原告に対する処分とを対比すれば著しく権衡を失しているといわざるをえない。そのうえ、右二月五日の事件については、被告において事実誤認をしているのであり、前記のとおり、他の事件については局側にも責任のある労使の対立関係の中でなされたもので、原告のみを責めるには忍びない事件も多く含まれているのである。
以上の諸点を斟酌すれば、原告がしかるべき懲戒を受けなければならないことは当然であるが労働者にとつて極刑にも値する懲戒免職処分が原告の行為に対する処分としては著しく重きにすぎるというべきである。したがつて、本件懲戒免職処分は懲戒権を濫用するものとして違法であることが明白であるから取消を免れない。
六(結論)
よつて、原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(小沢博 八田秀夫 前坂光雄)